なんでもシステム管理者(日本酒大好き!)

システム管理者兼何でも屋をやってます!日本酒にはこだわりを持ってます。多趣味ですが、その時間がなかなか取れないという悩みが・・・

大阪大学 受験断念!?

以前にも東大受験に失敗した夢を見ましたが、今度は阪大の受験に失敗、というか受験を断念する夢を見ました。

多分センター試験だと思うのですが、思いのほか点数が取れず、300点満点中138点しか取れず、これでは阪大はゼンゼン無理~、で黄昏ていたのですが、もう一浪(この時点で一浪してるという設定)しても無理やなぁ~、大学あきらめよかなぁ~・・・などと悩んでいたのですが、ふと「いや、俺は大学行きたいんや!、阪大やなくても今から頑張って行けるベストなとこ行こう!」とムクムクと意欲が湧いてきました。

そこに、先生(塾か予備校?)が現れ、「お前はもう一浪したって阪大はムリ、今から塔の最上階の部屋にこもって精一杯勉強に励みなさい!」と言われ、こもって勉強することに・・・(ちなみに実家には塔どころか屋根裏部屋もありません)

 

この辺りで夢は終わったか、それ以上は記憶に残っていません。
いい年こいて、こんな夢を見るのは、やっぱり若い時にもっと勉強しといたら良かったなぁと自分の中で後悔があるからなんでしょうか???
もし、これを読んでる若い方が見えましたら、思いっきり勉強して、思いっきり遊んで下さい。若い頃には両方こなすだけのエネルギーがありますから。

まぁ、人間思い立ったら、その時に勉強すればいつでも成長できると言いますので、今やりましょう!幸い(?)仕事柄、勉強しないとやってけないので、その点動機づけがある分ラッキーだと思います。

 

話は戻って夢の内容ですが、過去の2つの体験がにじみ出ていると起きてから思いました。

まずはセンター試験で得点が思うように取れなかったことですが、これは昔、共通一次(年がばれる・・(^_^;)で選択した「倫理社会」での失敗がベースになっていると思います。一浪の時に通っていた予備校では何故か余りメジャーではない「倫理社会」にいい先生がいて、分厚いテキストを飽きることなくおもしろおかしく講義してくれていたので、自分でも共通一次の中でも確実に得点をゲットできる!少なくとも90点、あわよくば満点のつもりでした。ところが、実際の試験では、それまで教科書に出たことも無い「新渡戸稲造」さんが突如現れ、その部分はすっかりロストしました。あんまり悔しくて、家に帰ってから教科書も参考書も確認しましたが「新渡戸稲造」の「に」も載っていませんでした。当時5千円札の肖像として採用されたのでテスト問題に採用したのでしょうが、教科書にも載ってない人をテスト問題にするなんて、受験生にとってはいい迷惑!です。(ずいぶん昔の話ですがまだ根に持ってる自分が・・・(^_^;)

もう一つは夢の終わりに出てきた先生です。これは予備校時代のチューター(担任)のイメージがあります。このチューターは年が近いこともあり仲良くしていました。そして、実際の共通一次でも「倫理社会」の失敗もあって思うような点数が取れなかったので、チューターから第1志望をあきらめて他の大学を進められたんです。(東大でも阪大でもありません)チューターの指導を一旦は聞き入れたものの、やはり第一志望をあきらめきれなかった私は、その夜、父に泣きながら第1志望を受けたいと懇願しました。「もう一浪するかもしれんけど受けたい!」と。父は私のわがままを聞いてくれ許してくれました。そして、第1希望へと願書を出し、事後報告でチューターには伝えました。そして、2次試験本番、科目は数学、英語、物理、化学と面接でした。この中では化学はやや苦手だったのですが、当日の問題は比較的得手とする内容だったので予想よりは点が取れたかと思います。
そして、合格発表の日。現役時代も同じ大学を受験したのですが受け取った電報には「スルガワンノナミ イマダタカシ」でしたが、この日は「フジサンチョウ セイフクス」をゲットしました。
明くる日、顔高々にチューターの元に報告しに行くと、驚き喜んでくれたまでは良かったのですが、「おまえが通ったんやったら、あいつも通ってるやろ」と失礼な事を言い(^_^;、他の生徒に連絡を取ったのですが、おあいにく様!
その生徒は落ちてました。
でも、入学してから、実はけっこうギリギリで合格だったのでは?と思えてきました。この話はまたいずれ書きます。

 

PS.ちなみに一浪時代通っていた予備校は今は跡形もなく、マンションになってます。やはり、少子化の影響なんでしょうか?