なんでもシステム管理者(日本酒大好き!)

システム管理者兼何でも屋をやってます!日本酒にはこだわりを持ってます。多趣味ですが、その時間がなかなか取れないという悩みが・・・

少量自慢???

先日とある番組で、現在大ブレークしている蔵が取り上げられました。(ここまで書けば分かる人にはすぐにピンとくるでしょうが、あえて蔵の名前も番組名もは書きません)その蔵の酒を大量に取り扱っている酒販店の社長さんが番組の中で言われたことが妙に引っかかりました。

一言一句は不正確かと思いますが次のような内容でした。

「この蔵は従来の蔵とやり方がちがう。今まで他の所は『少量自慢』をしてきたが、ここは設備を整え質、量ともに備え、数年後には質も量も日本一になるだろう。」

私が引っかかったのは『少量自慢』という言葉です。どことは断定できませんが、意図的に生産量を少量にして「少量」であることを付加価値にしている商品も具体的には知りませんが(たぶん?)あるでしょう。

しかし、そのような蔵はごく一部であると私は考えていますし、またそう信じたいと思います。

私のつたない経験の中の蔵との交流から『少量自慢』をしているのではなく、蔵の規模が小さいので「少量」にならざるを得ない、というのが現実ではないかと思います。ここ十数年、蔵元さんや杜氏さんが代替わりされて、それまで桶売りを主体としていた蔵がおどろくような旨い酒を醸す、といううれしい『異変』を何件も見ています。なぜ、そのような現象が起きたかというと、代替わりされた若い世代の造り手が、一昔前の世代と価値観が変わり、自分の手でいいものを造りたい、職人として納得ができるものを造りたいという熱意を持ったことがあるかと思います。その思いは分野は違えどエンジニアという一職人である自分には分かるつもりです。そしてもう一つの理由として環境の問題があるかと私は考えています。

酒蔵に限らず、大きな会社、大きな組織では変革は難しいものです。新しい事をしようとすると、何人のお偉いさんのハンコをもらわなければならないか、どれだけの凝り固まった偏見を打ち崩す必要があるか・・・。

ただ、新しい事をやる時に小さな組織であれば極端な話、自分一人がやる気があれば『変革』は可能なんさと思います。

だから、小さい蔵で、やる気を出された方がいれば、旨い酒を醸すことができるのは当たり前なんだと私は思います。ただ、小さい蔵なので生産量は自ずから少量になる。だから『少量自慢』なのではなく、小さい蔵で蔵でコツコツ真面目に造っている、それだけなんです。じゃあ、設備投資して、蔵を大きくすればいい、そういう考えもあるでしょう。それを否定をするつもりはありません。そういう方法もあるでしょう。でもそれは経営的にリスクを背負うことでもありますし、また設備投資をしても、そのクオリティを保ったまま、増産できるかどうかは怪しいものだと思います。単純な工業製品であれば、(ものにもよりますが)工場を大きくすれば、増産できるでしょう。

しかし、日本酒はそういう工業製品ではありません。
もちろん、その辺りをふまえて、機械化できる部分をうまく生かし、クオリティを持ちつつ比較的、求めやすい価格で吟醸クラスを提供している蔵を知らないわけではありません。

でも、私はやっぱり小さい蔵が好きなんです。小さい蔵の例として名前をあげると失礼かも知れませんが、私の大好きな「房島屋」を醸す所酒蔵もそんな蔵です。何よりも蔵元の顔が見える(テレビではなく)し、以前お話しさせていただいた時に、ブレークして東京に出荷が偏り地元で入手難になるようなことはありませんか?と尋ねたことがありました。今思うとぶしつけで失礼な質問ですが、即座に「地元をないがしろにすることはありません!」と答えてくださり、うれしく思いました。また、先日の蔵開きの際にも生産量は増やされてるのですか?とお尋ねしたら、「微増ですね」とのこと。恐らく年々私のような「房島屋」ファンは増えているかと思います。だからと言って、むやみに生産量を増やさない、こういった蔵は信頼できます。売れるからと言ってむやみに増産すると、普通品質は落ちます。ある酒屋さんでも、そういった話を聞きました。

と言う訳で、私は小さいながらも旨い酒を醸してくれている蔵を応援したいと思います。全国的にみれば蔵の数は減ってきているのはゆるぎない事実かと思いますが、それでも旨い酒を醸す蔵は着実に増えてきている!と信じています。今まで出会えたお酒もこれから出会うお酒も楽しみです。全国の蔵元、杜氏さん、旨い酒をよろしくお願いします。