訳の分からんタイトルですが、今の自分の心境です。
自分は、中小企業のシステム管理者という立場です。数年前にリストラがあり、システム管理者は自分一人になりました。自分が会社のインフラを背負っている、システムを構築し、運用しているという自負はあるのですが、それは凡人の私には負担でもあります。
それ以外にも精神的負担になっていることは個人的にもあるのですが、それらが複合的に重なって辛いところがあります。
今日、帰宅途中、普段と違う道でゆっくりと歩きながら自問自答してました。
今の自分の仕事ぶりは決して満足できるものでも、自負できるレベルでもない。やるべき仕事は沢山あり、分かっているのに、充分にできていない。一方、同僚全てとは言わないが多くは身を粉にして頑張っている。
では、なぜ、できていないのか。
やるべき事は分かっている、理解している、自覚している、しかし、それができていない・・・。そのこと、実行している、やっている、やれている人とのギャップが謎なんです。
分かっている、理解している、自覚している、ほんならやれるんちゃうん??
でも現実は時分を含めそうではありません。「わかってねんやったら、なんででけへんねん!」時折、私が妻に言う言葉ですが、そのまんま時分に返ってきてます。
ゆっくりと帰途に着きながら考えました。
分かっている≒分かっているつもり<自覚している(だからやれる)
なのではないかと。
一方、バリバリ仕事をしている人たちは「バイタリティ」を持っていると思います。では、なぜ「バイタリティ」を持てるのか?そもそも生まれつきの性格もあるかも知れませんが、そう考えると実もふたも無いので、もう少し考えました。「モチベーション」があるから「バイタリティ」を持てるのではないか?という一つの仮説にたどり着きました。
私の同僚でバリバリ仕事をやっている人たちは、無意識に「モチベーション」と「バイタリティ」をリンクさせているのでは?という新しい仮説にたどり着きました。無意識にやれるかどうかは持って産まれたものか、素質なのか分かりませんが、仕事を頑張ればこういう結果が出るという「モチベーション」を意識すれば出来るのでは?と思いました。
自分がやりたい、すべきと思っていることを実行すれば会社に貢献でき、結果として時分も評価される、そんなビジョンが垣間見えました。
私は弱い人間です。なかなか追い込まれないと頑張れないタイプです。なら、時分で時分を追い込めばしんどいかも知れませんが、結果頑張れて、時分に満足できるかも知れません。正直、現在の自分の仕事ぶりには、満足できていません。
しんどいかも知れませんが、「ああしんど、でもやれて良かったぁ。」と時分で思えることが理想なんです。
なので、明日からスタンスを変えてがんばります。天然で頑張れる人たちには正直悔しいですが、「俺もあんたとおんなじくらいがんばってるぜ」と思えるようにしたいと思います。
PS.時分でハードルをあげんとがんばれへんこの性格なんとかなれへんのかなぁ。でも、ええ年(内緒!)こいて、基本的には変わらんやろなぁ・・・